『来客』 作:よぉげるとサマー


【来客】

作:よぉげるとサマー



子供の頃、祖母から教えられた事がある。

家に居る時、戸を叩く音が一度だけ。

トン。

やけにはっきりと、耳に届いたなら。

聞こえない振りをすること。

トン。

三度、鳴り終えるまで、音も立てずに無視をすれば。

もう、それは聞こえなくなる。

トン。

もし、それを破り、背を叩かれたなら。

トン。

決して、振り向いてはいけない。

ドンッ!

それに、連れて行かれてしまうから。

==========

異変を感じたのは、午後14時のことだったという。

トン。

と、イヤホンで聞いていた音楽を押しのけて、突然耳に届いた。

何かを叩いたような音。

それが気になり、イヤホンを外した時。

やけに、周囲が静かに感じたという。

「最初は、そこまでは気にしなかったんです」

両親は仕事で、家には自分と妹しかいない。

大学の夏季休暇を利用して帰省中だった彼は、2階の自室で自堕落なら過ごしていた。

トン。

静かな家に、その音が、もう一度聞こえた。

それが玄関の戸を叩く音だと、当たり前のように思い至る。

妹は一階に居るはずだから、来客の対応はして貰えるはずだ。

トン。

また、戸が叩かれた。

だが、妹が玄関に向かう気配はなく、奇妙な静寂が続くだけだった。

「流石に、様子くらいは見ようと思って、一階へ降りようとしたんです」

部屋を出て、階段を降りながら、妹の名前を呼ぼうとした時。

妹が焦った様子で階下から彼を見たのが映った。

口を手で押さえ。必死な様子で首を振る。

「それが何なのか、わからなくて……声を……音を、出してしまった」

「え、なに?」

ドンッ!

大きな音。先程とは比べ物にならないくらいの。

妹は、大きく目を見開き、固まっていた。

突然のことに驚いていたが、危ない奴が玄関の前に来ているのだと理解し、聞こえないように妹へ話しかけようとした。

瞬間だった。

トン。

と、背中を叩かれた。

途端に、全身に寒気が走り、汗が噴き出す。

背を叩かれる。

ただ、それだけのことで、膨大な疑問が頭を巡った。

誰?

何故?

どこに?

何?

どうして?

やばい。

まずい。

怖い。

死ぬ?

「だめ!」

その硬直を解いたのは、妹の声だった。

体が弾かれたように前に出る、階段を蹴飛ばすように駆け降りる。

そのまま直通の玄関を通り越して、裸足のまま外に出た。

瞬間、妹の事を思い出し、振り返る。

だが、同時にカラリとスライドして、玄関の戸は閉じられた。

向かいの家の塀にぶつかるようにして止まり、荒くなった息を整えながら、家の戸を凝視する。

何も音がしない。

家の中からも、他の家からも。

どれくらい経ったかわからないが、荒かった息が整い出して、やっと妹の事が気にかかった。

背に残る感触を思い出して、鳥肌が立つ。

だけど、まだあの中に、妹と何かが居るのだとしたら……と、足を踏み出す。

短い距離だが、乱暴な走り方をしたせいか、足の裏が痛む。

何が、いつ、自分の後ろに……。

理解できず、恐怖がまた込み上げる。

恐る恐る、唾を飲み込み、玄関の戸に手を掛けた。

息を殺し、中に耳を立てるが、やはり何も聞こえない。

何を見たわけでも、何をされたわけでもないのに。

背を叩いたアレが、とても恐ろしいモノだと。

どうしようもなく、理解してしまった。

だが、妹を見捨てることはできない。

意を決して、戸を開く。

そこには、誰も、何も、居なかった。

妹の名前をか細く呼んでも、返事はない。

何かが起こったような形跡もなく、血痕が散らばっている訳でもなかった。

階段の先も、見慣れた景色しかない。

「どこ、いったんだよ」

家の中へ足を踏み入れる。

軋む床板の音さえ、うるさく感じて、とても怖い。

何かが居るとしたら、二階なんじゃないか。

そう、確信めいた感覚で、階段を上がる。

音を立てないように。

何かに気づかれないように。

歩を進める。

トン。トン。トン。

二階は、やはり静かだった。

廊下にも部屋のドアにも、なんの痕跡も無い。

ただ、恐怖から来る静寂が、夏の暑さをも忘れさせている。

自室のドアは開いたままで、何もおかしな所は無い。

ぐるりと、視線を回しても、他の部屋も熱気が篭らないようにドアが開けられていて、見る限り、何も変わったところは無かった。

「……なんだ」

何も、居ない。

ほんの少し、落ち着いて来た。

けれど、妹も居ない。

ざわり、と。肌が粟立つ。

二階から一階へ、目を向ける。

階段下には、誰も。何も。居ない。

「おぉい……」

妹へ呼びかけてみるが、何も返ってこない。

汗が、止まらない。

けれど、体は冷えていく。

足を、階段の一段に下ろす。

トン。

そして、軋む。

さらに、ゆっくりと、下がる。

トン。

他に、音は聞こえない。

下りきる。

トン。

自然に俯いていた、視線をあげる。

玄関の戸は開かれたままで、その先には変わらない夏の風景がある。

家の中も、同じく、何も違わない。

「どこに……いったんだよ」

この日、家から妹は消えた。



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自作の声劇台本まとめ

https://note.com/gestalt_summer/n/n258ee3e888bb

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