『蝉』 作:清水流兎


『蝉』

投稿者:R.S.


 夏と言えば、ってよく話題を振られるんですけど、それって色々あるじゃないですか。まあ、だからこそ話題になるんだと思いますし、私もそういう話題の振り方ってたしかによくしますし。たとえば、海とか、風鈴とか、あと台風? 学生の頃なんかはちょっと嬉しかったりしましたよね、台風。私も人と話す時は、そうやって色々と話したりします。でも、実は私の中では「夏」と言えば明確に決まっていて、私にとっては「蝉」なんです。

 私の実家は田舎でしたから、毎年夏になると色んな蝉が鳴いていて、それが気温によって代わりばんこに鳴くもんだから、幼い頃の私にとっては季節の変わり目っていうのが分かりやすくて、いつの間にか蝉の声を聞いて、その日の行動を決めたりとかが当たり前になっていました。

 それで、当時大学生だった私は郊外の大学まで片道2時間以上掛けて通っていたんですけど、就活が早く終わった私は割と暇をしていたんです。バイトは実家の近くでしてたから、授業が午前中の一つしかない日なんかは、本当に暇で。でも、学生最後の年だから、バイトを増やすより何かやりたいなって、今思えば焦っていたんだと思います。

 うちの大学、夏季休暇が他の大学より短くて、8月の一周目くらいまでは試験があったから、ちょうど今くらいかな。午前中に補講があったんですよ。その補講がロボット工学って言って、私が所属していた研究室の教授がやっていました。時期が時期だから戦争で使われる歩行ロボットを題材に。補講が終わった後、一緒に研究室でご飯を食べたんですけど、そこで教授が聞いたんですよ。「お盆はどうするんだ」って。私が「急にどうしたんですか」と問い返すと教授は、「もうすぐ終戦記念日だなと思って」と。

 ツクツクボウシが鳴いていました。私の実家は山を越えた先にあって、その手前、麓には有名な歌劇場があります。信号待ち、こんな平日に観劇に来られるようなお洒落な老夫婦が運転手を伴って、豪華なホテルから出て来るのをぼんやりと見ていました。まるでそこだけが時代を遡ったようで、蝉時雨が老夫婦が歩く道を守るように陰を落としていました。

 「学生さんですか?」

 突然、まさか話しかけられるとはおもわず、「ええ」と気の抜けたような返事をすると、老紳士は「そうか」と、じっと山の方を見つめて、

 「雨が降りそうですから、気をつけてお行きなさい」

 そう言って、老紳士は踵を返しました。その静かでいて睨みつけるような老紳士の目は未だに忘れられません。私は逃げるように目的地に足を向けました。駅の裏手、川を渡って少し登ると、自動車がギリギリ1台通れるくらいの細い山道があります。私がここに来たのは、この先にある小さな集落にあると聞く零戦のレプリカを見たいがためでした。この時、スマホは16時を示していて、行けるなと思いました。5分も歩かないうちに、ゴルフ場の入口があって、左手に道が続いていたからそちらに向かいます。するとすぐに、明らかにもう整備がされていないような細い木が林立していて、まだ日が高い夕方前の日光を遮るものだから、山道は少し薄暗く、冷たい風が吹いていました。しかし、不思議と不安とか、気味の悪さは感じなかったのです。この時は。

 私はスマホのマップを確認して足を進めました。スマホでは20分と示されていて、一本道ですから迷うはずもありません。木々が作るトンネルの入口で煩いほどのツクツクボウシの鳴き声が早く行けと言っているように聞こえ、私はずんずんと大股で足を進めました。しばらく、ただ無心に歩き続けました。雨の前だからか少し滑り気を帯びた風が吹き抜け、じっとりと汗ばんだ体を冷やします。辺りが徐々に暗くなってきて、しんと静まりかえっていた木々の間からひぐらしの鳴き声が響き始めた頃、さすがにおかしいと感じ始めました。明らかに、もう20分は歩いたはずでした。スマホを取り出すと時計は16時40分を過ぎていて、前を見ても後ろを見ても深い森。マップを開くと森に入る前に確認した位置から私は動いていませんでした。ディスプレイの上部には圏外と表示されていました。私はここで初めてゾッとした悪寒を感じ始めました。しかし、意地なのか、ここまで来て戻るなんて、という気持ちが不安を捻じ伏せました。立ち止まって、悩んでいる間にも、辺りは徐々に暗くなってきて、共をしてくれたひぐらしの鳴き声も徐々に、徐々に力を失ってきているのを感じました。この鳴き声が消えてしまう前に辿り着くことができれば大丈夫。ここまで来たのなら、集落の方が近いはず。暗いのは雲が日を遮っているからだ。そう言い聞かせ私は足を早めました。

 さらに20分は歩いたでしょうか。突然視界が開けました。私は、扇状に広がる棚田の一番上側に立っていて、抜けてきた木々の向こう側を背にするように古い民家が立ち並んでいるのを確認できました。森の中までは届かなかった夕日が、黄金色の稲穂を照らしていて、時折吹き抜ける風がその稲穂をさわさわと揺らす様がとても幻想的でした。ただ、結論から言うと私の目的の零戦のレプリカは残念ながらありませんでした。集落の奥には小さな神社があり、私が着く頃には宮司が本殿の戸締まりをするところでした。そこで、また私の背筋を撫でるものがありました。戸締まりをする宮司が誰かと世間話をしていました。それが、あの老紳士だったのです。いいえ、でも、そんなはずはありません。私は彼の横顔しか見ていませんから、きっと見間違いです。それに、私がここに来るまで追い越す者は誰もいませんでしたから。私は彼らを横目に通り過ぎ、小さな慰霊碑を前にしました。零戦のレプリカはありませんでしたが、それは確かにありました。特攻隊員の慰霊碑です。遺書もあるという話でしたが、さすがに野晒しの慰霊碑の周りには見当たりませんでした。ただ、花が供えてあるのみです。しっかり手入れをされているようで、小さな集落の小さな神社にしては、それは不思議な神聖さを感じさせました。私は自然と手を合わせ、黙祷を捧げました。

 「ご家族ですか?」

 私が黙祷を終えて振り返ると、あの老紳士がいました。やはり似ていたと思います。私は内心の動揺を悟られないように、「いえ、大学の先生に聞いて」と答えると、

 「ほう、そうですか。珍しいね。今はもう若い人達もみんな出ていっちゃったから、面白いものは何もないけど、よかったらまた来て手を合わせてやってください。お供えものとかいらないから」

 と。そして、もう暗くなるからと、集落の外、あの山道の入口まで車で送ることを申し出てくれました。さすがに真っ暗な山道をまた歩くのは怖かったから、少し不審に思いながらも、何かあっても老人相手にどうこうなるものでもないだろうと、その提案を受け入れました。車内で何を話したのかは覚えていません。そもそも、徒歩1時間の道、車なら5分と掛かりませんから。車を降り、老紳士に礼を言うと、「雨が降りそうだから、気をつけてお帰り」と言い残して、あの山道を引き返して行きました。それを呆然と見送っていると、急にスマホが鳴り出しました。出てみると兄でした。どこにいるのか、と。兄はお盆に実家に帰るため、どうせ大学にいるなら一緒にどうかと私を位置情報アプリで探してくれたみたいなのですが、ずっと山奥で動かないから不審に思って近くまで来てくれたそうです。しかし、見つからないから、何度も電話を掛けて、ようやく今繋がったということでした。確認すると家族から10件以上の着信履歴があり、時刻は18時を指していました。その時、後ろに響く物悲しいひぐらしの鳴き声に、何故だか涙が出てきました。1人、山道の前で嗚咽を漏らす私に、迎えに来た兄がたいそう驚いていたのが、私にとっては印象的でした。

 後日、この日のことを研究室の教授に話しました。すると、「ああ、行けたんだ」とよくわからないことを言うものだから、「いや、先生が教えてくれたんですよね!」と言うと、教授はニヤリとして、

 「あの辺ね、昔俺の爺さんが住んでたんだよ。今はもう若い人達いないから、限界集落みたいになっちゃって、そのうち行けなくなるんだろうけど。行けてよかったね。割と良いところだったでしょ? ただ――」

 そう教授が言うことには、「神社はもう他に移されてないはずだから、零戦のレプリカとか見たいなら、もうちょっと調べて行っておいで」ということでした。それが本当なら私が見たあれはいったい何だったのでしょうか。

 私が、再び集落を訪れたのはさらに1年後のことです。興味を持った父と、今度はちゃんと零戦のレプリカを見に行きました。それは今風の住宅街の端、神社の奥にあるお墓のさらに奥にあって、特攻隊員の慰霊碑と遺書が展示されていました。レプリカも確かに立派で見応えがあるものでしたが、それよりも今そこは心霊スポットとしての方が有名なようです。あの集落はその神社から車で40分ほど掛かる位置にありました。狭い車がギリギリ通れるような山道をゆっくり進んで行くと、たしかにあの集落があり、奥にはあの神社もありました。ただ、この1年で管理できる人もいなくなったのか、神社は明らかにもう寂れていて、慰霊碑があった場所には、ただ石材の何かが置かれていたような跡が残っていただけでした。集落はもう明らかにほとんど人が住んでいないようで、お爺さんを1人集落の端の倉近くで見ただけで、水田も半分が機能していないように見えました。そこで、私はふと違和感を覚えたのですが、正直そのときは何かわからず、家に帰ってから再度その集落について調べてみることにしたのです。

 その集落について、ネットではもう記述されているところはありませんでした。ただ、私は航空写真を見つけることができたのです。そして、私が感じた違和感の正体を見つけ、すぅっと得体の知れない何かが私の体を通り抜けるのを感じました。航空写真で写っていたその集落の棚田はしっかりと区画整理がされていて、四角かったのです。さらに、1年前私が見た扇状の棚田、あの美しい光景、あの黄金色の絨毯は、明らかに秋のものでした。私はあの時、いつ、どこに行ったのでしょうか。今でも変わらず聞こえるツクツクボウシの鳴き声が、度々憐憫の情を掻き立てるように、いつか私をまたあそこに連れて行くのではないかと、そう感じています。