『ペリドットの瞳』 作:天びん。

Aguhont Story Record 外伝

『ペリドットの瞳』

作:天びん。

協力:清水流兎 様

50分


【登場人物】

フェリクス=サージュ=オーベル:リーベルの賢者。タングリスニ、マリシ、バルナの賢者が亡くなってからも1人でアグホント大陸の平和と安寧を維持している。

レオン=オーベル:リーベルの皇女(テレジア)の皇配に当たる。真面目で誠実。フェリクスの政務を手伝っている。(ブルーノと兼役)

テレジア=オーベル:フェリクスの実子でリーベルの皇女。刺繍が得意でレオンと子供達が大好き。家族のためなら命を張れる。

サイラス=オーベル:リーベルの男性皇族でエリスの兄、10歳。頭が良く、気遣いが出来るため、レオンやテレジアからも頼りにされている。

エリス=オーベル:リーベルの女性皇族、8歳。将来は兄であるサイラスの仕事の手伝いをするべく様々なことを学んではいるが、政治や座学は苦手らしい。

アレクシス:タングリスニのレイプトハマー山脈にある炭鉱で働く炭鉱夫。性格は荒々しく、ギャンブル癖があり、借金漬けの日々を送っている。

ブルーノ:タングリスニのレイプトハマー山脈にある炭鉱で働く炭鉱夫。寡黙で大人しい。レオンと声が似ている。(レオンと兼役)

ラーシュ:タングリスニのレイプトハマー山脈にある炭鉱で働く炭鉱夫。ちょっぴりお調子者で詰めが甘い。言いつけられた仕事はこなすが、余計なことまで喋るため、よくアレクシスに殴られている。(侍従と兼役)

侍従:フェリクスの侍従(ラーシュと兼役)

御者:タングリスニに亡命する際につけられた馬車の御者(フェリクスと兼役)


【参考】

テレーゼ・オーベル(声の出演なし):フェリクスの実子でリーベルの皇女。テレジアの双子の姉にあたる。タングリスニの人間と恋に落ち、結ばれた。10年ほど前に他国での公務を終えた帰り道に事故に遭い、夫共々死亡している。

シーグヴァルド=ヴィークストレーム(声の出演なし):タングリスニの辺境を治めている伯爵。

※本作品は一部、清水流兎様と共同執筆している箇所があります。

※ブルーノはレオン役の人が兼役してください。

※兼役でやる場合は、①フェリクス&ラーシュ&御者、②レオン&ブルーノ、③アレクシス&侍従とすると丁度いいと思います。

※こちらの外伝はAguhont Story Record 1st Episode「始まりの物語」から15年ほど前のお話です。



【本編】

アレクシス:…帰ったか。首尾はどうだ?

ブルーノ:前情報通り、今週末城で各国の要人を招いて国際会談が開かれるらしい。会談の後には食事会も予定されている。

アレクシス:そうか。こっちもさっきラーシュから連絡が入って、城に酒類を下ろしてる問屋を突き止めたそうだ。よし、ずらかるぞ。

ブルーノ:一体何のためにこんな事調べるんだ?

アレクシス:知らねぇよ、お偉いさん方の考えることなんざ。

アレクシス:お前も、余計な事に首突っ込むと早死にすんぞ。

ブルーノ:…。


テレジア:サイラス?どこに居るの、サイラス?

サイラス:あ、母さん!どうしたの?

テレジア:ちょっと母さんと一緒に…まぁ、サイラスったら…!こんなに服を汚して…。

サイラス:へへへ!エリスと一緒に泥団子作ったんだ!

エリス:え、母さん?!見て見てー!こんなに作ったんだよ!!

テレジア:あらあら…いち、に、さん…ホントだ。たくさん作ったのね。

エリス:えへへ…でもね、兄さんスゴいの!私のよりずーっときれいな丸いお団子作ってた!!

テレジア:そうなの?エリスのもきれいな丸いお団子に見えるけど…

サイラス:僕が作ったのは…これだよ。

テレジア:え…。これ…本当に泥団子…?

エリス:スゴいよね!ピカピカ光って綺麗なの!

サイラス:ちゃんと磨いてるからね!

テレジア:ふふっ…スゴいわ。でも、顔に泥をつけるくらい夢中になってたのね。

サイラス:?

テレジア:いらっしゃい、とってあげるわ。


ーテレジアは懐からハンカチを取り出すと、サイラスの頬を軽く拭う。


サイラス:!…気付かなかったや。

エリス:兄さん、すっごく真剣に作ってたもんね!

テレジア:エリス。貴方もついてるわよ、…ここに。

エリス:!…あれ?ホントだ。

テレジア:2人とも同じところに泥つけちゃって…流石兄妹ね。

サイラス:エリスと僕は仲良しだもんね!

エリス:ねー!えへへ…。

テレジア:ただ…そろそろエリスも泥遊びは卒業しなくちゃね。

エリス:えー?!何で?!

テレジア:もうお姉さんなんだから、サイラスみたいにお勉強の時間を増やしていかないとね。

エリス:うぅ…剣術とか魔法のお勉強は楽しいけど、難しいこと考えるの苦手…。

テレジア:将来はサイラスのお仕事を手伝うんでしょう?それなら今のうちからやっておいた方がいいわ。(ここから小声)…特に政治に関わることは。

エリス:母さん…?

サイラス:そういえば、母さん。僕に何か用事があったんじゃなかった?

テレジア:そうだったわ。レオンが仕事で手が離せないから私が呼びに来たの、大事なお話があるからって。

サイラス:大事なお話?

エリス:じゃあ早く行こ!父さん待ってるよ。

テレジア:エリスはここで待ってて。

エリス:え!何で?!

テレジア:お仕事のお話だからね、邪魔になっちゃうわ。

エリス:私も行く!兄さんと一緒が良い!ちゃんと良い子にしてるから!!

サイラス:大丈夫、すぐ戻ってくるって。

サイラス:そうだ、エリスはそれまでに泥団子いっぱい作っておいてよ。帰ってきたらピカピカの泥団子の作り方教えてあげる。

エリス:本当?

サイラス:約束するよ。

エリス:…分かった。

テレジア:良い子ね。じゃあサイラス、行きましょうか。


―テレジアはサイラスを連れて庭を出ていく。


サイラス:(ノック音)

レオン:どうぞ。

サイラス:失礼します。

レオン:やぁ、サイラス。来てくれて嬉しいよ。…うん、キチンと礼儀作法も身に付いているね。

テレジア:えぇ、家庭教師の先生方もサイラスは物覚えが良いと褒めて下さってますよ。

レオン:そうか、それなら安心だ。

サイラス:安心…?

レオン:サイラス、お前には今度の国際会談から公務に参加してもらう。

サイラス:僕が公務に?!

テレジア:3国の賢者様達が亡くなられて久(ひさ)しい今、貴方のお祖父様にあたるリーベルの賢者様が大陸全土の平和を維持しているものの、寄る年波には勝てません。

レオン:ああ。命ある者はいつか必ず終わりを迎える。いつか賢者様が亡くなられてしまった時に、混乱やいさかいを起こさないよう、我ら次世代の民が今から種族関係なく手を取り合い、このアグホント大陸をより良きものにしていくには、どうしたらいいか考える必要があるんだ。それに…。

サイラス:父さん?

レオン:何だか嫌な予感がするんだ…このような大規模の会談で何かあったら一気に各国の均衡(きんこう)を崩しかねない。杞憂(きゆう)であればいいんだが…。サイラスは私達には気付けないところにも気が回る。だから今回から私の補佐をしてくれたら嬉しいよ。

サイラス:分かった。父さん、僕頑張るよ。

レオン:ははは!私達の子がいつの間にかこんなに頼もしくなっていたとは…本当に目が離せないな。

テレジア:ええ。


―国際会談当日、リーベルの賢者であるフェリクスが壇上に立ち、開会の挨拶を行う。


フェリクス:この度は遠路(えんろ)はるばるリーベルまでご足労(そくろう)頂き、感謝します。

フェリクス:本会の目的はアグホント大陸における各国の情勢や、抱えている問題に関する情報・意見交換です。どうぞ忌憚(きたん)なき意見をお聞かせ下さい。

フェリクス:―友亡き今、アグホント大陸の平和・安寧(あんねい)を実現するには、種族等の壁を越え、皆様と協力することが不可欠と改めて実感しております。

フェリクス:会談の後には細(ささ)やかながら食事会を予定しておりますので、各々交流を深めて頂ければ幸いです。

レオン:ありがとうございます。では、早速本題に移りたいと思います。司会進行は私、レオン・オーベルが担当致します。

レオン:まず始めに現時点における各国の情勢について、担当者から簡潔にご説明頂きます。ではタングリスニから、お願いします。


―会談自体は時に白熱し、各国から様々な意見が出たものの、特に問題なく進み、食事会に移る。


サイラス:(会談、無事終わって良かった…。やっぱり座学と実地じゃ全然違う。緊張感もそうだけど…身の振り方、喋り方一つ取ってもそれが国の動向として受け取られかねない…。考えないといけない問題も沢山あったけど、ある意味有意義な時間だったなぁ。)

レオン:では、これより食事会に移りたいと思います。ここからは皆様存分に楽しんで各々交流を深めて下さい。

フェリクス:乾杯に際して、皆様にはリーベルの秘酒を振る舞いたいと思います。


―フェリクスの合図で酒樽からリーベルの秘酒が注がれていく。


フェリクス:皆、行き渡っただろうか?

フェリクス:では労いの意を込めて、先の会談で司会進行を務めたレオン・オーベルに乾杯の音頭をとってもらおうと思う。

サイラス:え?

サイラス:(こういうのって普通主催してるお祖父様がやるもんじゃないのか…?)

レオン:では僭越(せんえつ)ながら…大陸の恒久(こうきゅう)な平和と安寧(あんねい)を願って…乾杯。


―レオンは恭(うやうや)しく盃を掲げると、一息に盃の中身を飲み干した。


レオン:―!

レオン:があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

フェリクス:何…?!

サイラス:父さん!!

テレジア:あなた!!!!

フェリクス:君達、急いで会場の客人を別の広間に移してくれ。絶対に誰もレオンに近付けるな!

侍従:は、はい!


―サイラスとテレジアは一目散にレオンに駆け寄り、テレジアが近くに抱き寄せようと手を伸ばすと、叫び続けるレオンに止められる。


レオン:ダメだ!!…触るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

テレジア:レオン…!どうして!!

サイラス:母さん!父さんの喉と触れた箇所が黒く変色して腐ってる…!!

テレジア:まさか、ヒュドラの毒なの?!

レオン:あ、ああ…燃やせ…燃やしてくれ…

侍従:皇女様、お下がり下さい!!これ以上は危険です!

テレジア:そんな…!嫌…嫌よ、レオン!!

フェリクス:テレジア、すぐにサイラスを連れて私の部屋に行きなさい!

サイラス:お祖父様!

フェリクス:お前達も分かっているだろう、ヒュドラの毒は神経毒、細胞毒の特性を併(あわ)せ持った神話級の猛毒だ。どれだけ強力な解毒魔法でも解毒することはかなわない。毒を拡散させないためにも、レオンごと燃やさなくては。

フェリクス:それに、これが皇族を狙った事件ならお前達も危ない。辛いことだが分かってくれ。

テレジア:でもっ…!!

フェリクス:―しっかりしなさい!お前には守るべき家族が居るだろう。

フェリクス:君、テレジアとサイラスを頼む。別室にいるエリスもすぐに連れて来るように。

テレジア:…っ!!レオン…ごめんなさい…!ごめんなさい…!!

サイラス:父さん!!

レオン:があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

フェリクス:…。


サイラス:(母さんは父さんに背を向けると、泣きながら謝罪の言葉を口にした。母さんに手を引かれながら僕が最後に見たものは、毒に苦しみ、徐々に腐敗していく父さんと、感情が抜け落ちた顔で父さんに向かって火を放つ賢者の姿だった。)


―フェリクスの私室に通されると、テレジアは力なく椅子に座り込み、サイラスは何ともいえない表情でテレジアの傍らに立ち尽くしていた。


テレジア:(消え入りそうな声で)…レオン…。

サイラス:母さん…。

テレジア:ごめんなさい…本当にごめんなさい…。

エリス:母さん…?

テレジア:エリス…良かった、無事だったのね…。

エリス:母さん、どうしたの?何で泣いてるの?

サイラス:…。

エリス:…兄さん?

フェリクス:―良かった、3人とも無事だな。


―フェリクスが少し安堵した表情で部屋に入ってくる。


エリス:お祖父様…!

フェリクス:すまない。私の力不足でお前達に怖い思いをさせてしまった。

エリス:…どういうこと?

サイラス:父さんが…何者かに毒殺されたんだ。

エリス:えぇっ?!そんな…父さん…!!

テレジア:お父様…これからどうなさるのですか。

フェリクス:落ち着いて聞いてくれ。お前達にはこれから亡命してもらう。

サイラス:亡命…ですか?

フェリクス:あぁ、既に先触れは出しておいた。

テレジア:亡命って…亡命先は何処なんです?

フェリクス:それを説明する前に、お前達に話さなければならない事がある。

フェリクス:―『テレーゼは生きている』。

テレジア:えっ…?!

フェリクス:時間がないから詳しい話は省(はぶ)かせてもらうが、テレーゼ達はタングリスニのヴィークストレーム領で匿(かくま)われている。お前達はそこに向かい、事が落ち着くまで身を隠してもらいたい。

テレジア:…お父様は?

フェリクス:本当なら側で守ってやりたいところだが、私は今回の事件を調査しなくてはならない。会談には各国の要人が参加しており、更には神話級の毒が使われていたのだ…一筋縄ではいかんだろう。

テレジア:分かりました。2人には私から詳しく話しましょう。

フェリクス:サイラス…それにエリス。幼いお前達にとってリーベルを離れるのは不安だろうが、どうか国を離れられない私の代わりに母さんを助けてやってくれ。

サイラス:分かりました。

エリス:はい。


―数日後、防寒具等最低限の荷物を纏めて馬車に乗せ城を後にしたテレジア、サイラス、エリスの3人は、バケツをひっくり返したような大雨の中を馬車で進み、ようやくタングリスニの国境に差し掛からんとしていた。


テレジア:ようやくタングリスニに入ったわね…大丈夫?疲れたりしてない?

エリス:うん。

サイラス:僕も大丈夫。

テレジア:そう…。

テレジア:じゃあ、今から大切なお話をするわね。

テレジア:実は私には双子のお姉さんが居たの、それがテレーゼ。

エリス:母さんのお姉さま…?

テレジア:ええ。エリスの叔母にあたるわね。

テレジア:テレーゼ姉さんは、人間の男性と恋に落ちて結婚したんだけど、皇位継承順位からしてもリーベルの皇配に人間を据(す)えることに反対の声が多かったの。テレーゼ姉さんを皇族から除名しろって意見も少なくなかったわ。

サイラス:そっか…会談でも亜人差別の話は出たけど、今よりもっと酷かったんだね…。

テレジア:そんな中…もう10年くらい前になるかしら?他国の公務を終えてようやくリーベルに差し掛かった頃、テレーゼ姉さん達は不慮の事故に遭い亡くなってしまった。

テレジア:…そう聞いていたのだけど、まさか生きていたなんて…。

サイラス:母さん、嬉しい?

テレジア:…そうね、早く姉さんに会いたいわ。

テレジア:これも返してあげないと。


―テレジアは懐から大事そうにハンカチを取り出し眺める。


サイラス:そのハンカチ、母さんが大切にしているハンカチだよね?

テレジア:ええ、そうよ。姉さんも刺繍が上手でね…亡くなった後で形見として引き取らせてもらったの。

サイラス:そっか!僕そのハンカチ綺麗で大好きなんだ!叔母さんに会うの楽しみだなぁ。

テレジア:…実は、この話にはまだ続きがあるの。

エリス:続き?

テレジア:ええ。実はテレーゼ姉さんが事故に遭った時、2人には産まれたばかりの赤ちゃんがいたの。

テレジア:赤ちゃんは城にいて無事だったけれど、両親は亡くなってしまった…そこで当時妊娠が分かったばかりの私に預けられたのよ。


―テレジアは決意を固め、顔を上げる。その目はまっすぐ正面に座っている子の瞳を捉えていた。


テレジア:その子の名前はサイラス。

テレジア:…実は貴方は、エルフのテレーゼ姉さんと相手の人間の男性との間に生まれたハーフエルフなのよ。

サイラス:え…?

サイラス:父さんと母さんは…僕の本当の親じゃない…?

テレジア:そう…なるわね。

エリス:じゃあ兄さんは…私の兄さんじゃなくて、でも私よりお兄さんで…んん…?

テレジア:サイラスはエリスの従兄(いとこ)ということになるわ。

サイラス:え…そんな…。

テレジア:でもね、「私達にとって血の繋がりや種族の違いは関係ない。」サイラスを預かった時にレオンがそう言ったの。私達は2人に等しく愛情を注いで育てた、紛れもなくサイラスとエリスは私達の子よ。

サイラス:母さん…僕はまだ母さんのこと母さんって呼んでも、良いの?

テレジア:勿論よ。私はサイラスの育ての親だもの。

サイラス:母さん…!


―サイラスがテレジアに抱きついた。テレジアは優しくサイラスの頭を撫でる。


テレジア:あらあら…最近サイラスはしっかりしてきたと思ったのに、急に甘えん坊になっちゃったわね。

サイラス:だって、だって…もう僕は母さんと父さんの子供じゃないって言われたりしたらって…!

テレジア:そんなこと言わないわ。さっきも言ったでしょう、貴方は私達の大切な子よ。

エリス:じゃあ!じゃあ!私も兄さんって呼んで良いの?

テレジア:ええ。

エリス:ふふっ…ならやっぱり兄さんは私の兄さんだ!ずっと一緒だね!

サイラス:エリス…。

テレジア:そうね、私達は変わらず貴方とずっと一緒に居るわ。

サイラス:うん…!


―サイラスが頷いた瞬間、馬車を引いていた馬達がけたたましく嘶いた。


テレジア:どうしたの?!

御者:奥様、賊です!!危ないので絶対に馬車から出ないで下さ…ぐあっ!!

テレジア:賊ですって?!まだ国境からそう離れていないはずよ!

エリス:兄さん…。

サイラス:大丈夫だ、エリス…絶対に僕から離れないで…。

アレクシス:―あん?くそっ、魔法結界か…。中の奴に告ぐ!この御者を殺されたくなけりゃ大人しく結界を解きな。俺ぁ、気が短いんだ。早くしろ!!


―テレジアが迷っていると、馬車の扉に次々と斧が振り下ろされる。


テレジア:―っ!

テレジア:…2人ともよく聞いて。今から私が馬車の結界を解きます。直後に光魔法を放つから、2人は身を低くして扉が開いた瞬間にバラバラに逃げなさい。

エリス:母さんは…?

テレジア:貴方達が逃げられるように出来る限り時間を作るわ。

アレクシス:…おい!!聞いてんのか!!

サイラス:母さん、僕も一緒に…!

テレジア:ダメよ、サイラス。貴方達が捕まってしまったら私は身動きが取れなくなる。そうなったら3人とも終わりだわ。無事に逃げられたら今度は貴方がエリスを守るの!良いわね?

サイラス:母さん…

エリス:やだよ、母さん!母さんも一緒に…!

サイラス:…エリス、逃げる準備をして。

エリス:兄さん?!

サイラス:ここで何もしなかったら本当に3人とも捕まっちゃう。まずは逃げるんだ、いいね。

エリス:わかった。

テレジア:良い子。

テレジア:―分かりました。結界を解きます!


―テレジアがそう告げて結界を解くと、ガチャリと扉が開け放たれた。


テレジア:駆けろ、駆けろ―、明るく晴れやかに…ひとえに周囲を照らし給え…―閃光!!


―サイラスとエリスはテレジアの詠唱を聞き、扉の左右から素早く飛び出して走る。付近には光魔法で視界を焼かれている数人の男達と、地面に倒れ伏した御者の姿が確認できた。


アレクシス:おおっと!

エリス:きゃあっ!?

アレクシス:随分と舐めた真似してくれるじゃねぇか…―えぇ?!

エリス:ひ…っ!

サイラス:エリス…!

ラーシュ:―よっと!

サイラス:わぁっ?!

テレジア:エリス…!サイラス…!!

アレクシス:動くな!!コイツらはお前の子か?…へぇ。子持ちなのにアンタ、良い女じゃねぇか。

テレジア:子供達に手出ししないで。

アレクシス:さぁて、どうしようかな…。

アレクシス:!おい、ラーシュ。あれ寄越せ。

ラーシュ:おう。


―アレクシスはラーシュが取り出した漆黒の手錠を受け取ると、テレジアの両手にかけた。


エリス:母さんっ!

アレクシス:暴れんじゃねぇ!!(エリスを殴る)

サイラス:エリス…!

アレクシス:これは魔封じの手錠だ。これをつけている間は誰でも魔法が使えなくなる。さっきみたいな真似されちゃあ困るんでな、生きていたいなら大人しくしてろ。

テレジア:子供に乱暴しないで!!

アレクシス:うるせぇ!!亜人のくせに文句言うな!!

アレクシス:…気が変わった、先にコイツを連れていく。

サイラス:エリス…!

ラーシュ:だーかーらー、暴れんじゃねぇ!勝手に首が落ちても知らねぇぞ。

サイラス:サバイバルナイフ…!

テレジア:サイラス!

テレジア:待って!その子をどうするつもり?!

アレクシス:大人しくしてりゃガキは殺さねぇでおいてやるよ。少しでも妙な真似したら…分かってるな?

エリス:母さん…!兄さん!!

アレクシス:お前らコイツら見張っとけよ、―いいな!


―アレクシスがエリスを担いで馬車から離れていく。視界を奪う程の大雨のせいですぐに2人の姿は見えなくなった。


テレジア:エリス…!

サイラス:母さん…!

ラーシュ:大人しくしてろ、俺達だって無闇矢鱈と傷付けてぇ訳じゃねぇんだ。傷付けたら価値が下がっちまうだろ?

テレジア:最低ね。

サイラス:!あれ…?

ラーシュ:あ?何だガキんちょ?

テレジア:サイラス…?どうしたの?

サイラス:何か聞こえない?

テレジア:…何も聞こえないわよ。

サイラス:地響きみたいな…どんどん大きくなってる気がする。

ラーシュ:!まさか…!

ラーシュ:おい、お前ら引くぞ!急いで大岩のとこまで走れ!!


―次の瞬間、轟音と同時に強い衝撃が身体を襲った。サイラスの身体は宙を舞い、上下左右も分からなくなる。

―一方、大岩に隠れるようにして停められた荷馬車ではブルーノが1人で考え事をしている。そこにエリスを担いだアレクシスが現れ、荒々しくブルーノの後ろにエリスを投げ捨てた。


エリス:うぅっ!

ブルーノ:!アレクか。

アレクシス:見ろ。コイツが戦利品だ。あとは男児が1人と女が1人だ。

アレクシス:コイツは手錠を取るついでに持ってきた。

ブルーノ:…そうか。

アレクシス:じゃあ行ってくる。


―アレクシスは手錠を2つ手に取ると、馬車から離れていく、がしかしすぐに他の男達を連れて走って戻ってきた。アレクシス以外の男達は、身体が泥にまみれて汚れている。


アレクシス:急げ!ずらかるぞ!!

ブルーノ:は…?

ラーシュ:土砂崩れだ!下手すりゃここも危ねぇ!!

アレクシス:一刻も早く離れろ!急げ!!

ブルーノ:…。

エリス:待って!母さんと兄さんは…?まさかまだあそこに―!

アレクシス:黙れ!

エリス:―っ!

アレクシス:うるせぇぞ!!そんなに死に急いでるなら、すぐにでも殺してやろうか…えぇ?!


―アレクシスが腰の短剣を抜いてエリスの首に当てようとしたが、ブルーノに止められる。


ブルーノ:止めとけ、今は土砂崩れから逃げる方が先なんだろ。

ラーシュ:そ、そうだよ…。アレクも巻き込まれるのは御免だろ?

アレクシス:(舌打ち)ったく…早くしろよ。


―アレクシスはエリスから手を離すと、不機嫌そうに荷台に歩いて行き、ドカッと音を立てて座った。


ブルーノ:ラーシュ、馬車を頼む。

ラーシュ:お、おう!

ブルーノ:…お前、立てるか?

エリス:…。(コクリ)

ブルーノ:俺達も命は惜しい。まずはここから距離をとる、いいな。

エリス:…。

ブルーノ:何だ?

エリス:父さん…。

ブルーノ:は?

ラーシュ:ぷっ…ブルーノ、お前コイツの父親と間違われてるぞ!!

ブルーノ:うるさい。

エリス:声。父さんと同じ。

ブルーノ:…そいつは良かったな、行くぞ。


―ブルーノが荷馬車に座り込むと、エリスが無言で隣に座る。


サイラス:…うっ。

サイラス:あれ…僕は一体…。

サイラス:!母さん!!


レオン:(N)サイラスが我に返り、周囲を確認すると、少しはなれた場所で土砂にまみれ、ひしゃげて横倒しになった塊が目に入る。周りにさっきの男達が居なくなっていたことから、サイラスはさっきの男が逃げる際に投げ捨てられたんだと理解した。


サイラス:あ…あぁぁ…!そんな…!

テレジア:…ラス…

サイラス:(囁くように)母さん…?

サイラス:母さん!―母さん!!


レオン:(N)微かな声を頼りに、慌ててテレジアの姿を探すと、テレジアはひしゃげた塊の中からサイラスの顔を眺めていた。


テレジア:良かっ、た…。サイラス、無事ね…。

サイラス:ぼ、僕は大丈夫!母さんは…?

テレジア:母さん、は…ダメね。肺が…土砂で、潰され…

サイラス:そんな…っ!そんなこと言わないでよ…!!約束したじゃないか!ずっと一緒に居るって!!

テレジア:ごめんなさい…泣かないで…ね?

テレジア:そうだ…これを…!


―テレジアが最後の力を振り絞り、サイラスの方へ手を伸ばす。その手には例のハンカチが握られている。


テレジア:これを、辺境伯様に…そしたら、貴方を…助けてくれ…―っぐ!!

サイラス:母さん…っ!!

テレジア:かわいい、子。かわいい、目。髪も、とっても奇麗な、星の色…。

テレジア:サイラス…大好きよ。

サイラス:うん…!僕も、母さん大好き…!

テレジア:…。

サイラス:…母さん?え、ねぇ…母さんってば…。

サイラス:母さん?母さん…っ!!目を開けてよ、母さん!!


―ひとしきり声をかけたが、サイラスは反応がないことを確認すると、ゆっくりと立ち上がり、フラフラと大雨の中を歩いていった。

―しばらくして荷馬車はレイプトハマー山脈の麓で停まった。


ラーシュ:おい、降りろ。

エリス:…寒い。

ラーシュ:お前、もしかしてタングリスニに来るのは初めてか?

エリス:(木の形が違う…土が見えてるけど、緑が全くないや…。)

アレクシス:いつまでタラタラやってんだ!早く来い!

ブルーノ:こっちだ。

アレクシス:お前にはここで働いて金を入れてもらう。

ラーシュ:そうそう、お前はエルフで亜人だろ。

エリス:あ、じん…?

ラーシュ:人間に近いけど人間ではないってこった。

アレクシス:お前らみたいな亜人は、この国では罪人扱いだ。でも寒さが厳しいこの国で食料や資源を確保するには人手が足りない。―ならどうするか?罪人に働かせるんだよ。

ラーシュ:この山では石炭や鉄鉱石が採れる。お前が炭鉱婦としてそれらを採掘してくれば飯くらいは食わせてやるよ。

ラーシュ:…それと、お前は4賢者の伝承を聞いたことあるか?

エリス:…。(コクリ)

アレクシス:この山は昔この大陸を襲った巨竜の尾だったと言われている。そのせいかたまに魔晶石の欠片が出土するんだ。魔晶石の欠片はかなりの価値がある。見つけたら即俺達に知らせろ。


―その後は何の進展もなく時間が過ぎていく。


エリス:(私がタングリスニの炭鉱に連れてこられて半年が経った。)

エリス:(日が昇るよりも早く起き、鰻(うなぎ)の寝床のような坑道に詰められ、掘り当てた鉱石を籠一杯に集めたら、息苦しくなるような空間の中を這うようにして進み、坑道の外に運び出す。それの繰り返し。)

ラーシュ:おう、チビ。三本目の坑道が狭くて入れる奴がいねぇ。お前行ってこい。

エリス:…。(コクリ)

アレクシス:おい、お前…返事は?

エリス:はい…。

アレクシス:声が小せぇ!!

エリス:ぐっ…!はい!

アレクシス:ったく…毎回屑石ばっか拾ってきやがって…もっとまともな鉱石を拾ってこい。

エリス:…。

ラーシュ:フラッシュだ!

アレクシス:…残念、フルハウス。

ラーシュ:あー!!また負けだ…。アレクに身ぐるみ剥がされる…。

アレクシス:剥ぐかよ、気色悪ぃ!でもまぁ、ツイてるのは確かかもな。

ラーシュ:そーいえば最近高そうな酒飲んでるよな、それとか。どうしたんだよ。

アレクシス:おー、これか?そうだな…日頃の行いが良い自分への褒美といったところか。

ラーシュ:嘘だぁ!ぜってー何か臨時収入あったろ!!何やったんだ?俺も手伝うから!!

ラーシュ:…あ!そういえば酒蔵の問屋の件!報酬ちょろまかしてたんじゃ…!

アレクシス:バカ!あの件は他言無用っつったろ!!


―エリスは溜め息を吐いて炭鉱脇の食堂に入ると、ブルーノの隣に座り、食事をとりながら周りの人間達の様子を眺めていた。


ブルーノ:…何だ?

エリス:いえ、何も…。

ブルーノ:…やる。

エリス:え?

ブルーノ:腹一杯だ、食え。


―ブルーノはそう言うと、硬いパンを私の皿に乗せ、仕事に向かう。


エリス:…あり、がとう。

エリス:(寡黙で大人しく、父さんと同じ声のブルーノ。いつも無表情なのに仕事は淡々とこなすし、仲間内の評判も悪くはなかった。なのに…気付けばいつも私の側にいる。人ではない亜人の私の側に。)

ラーシュ:お?チビ、今日はブルーノに引っ付いてないのか?


―入れ替わりにラーシュがやって来て、ブルーノが座っていた壁際の席に座る。


エリス:別に…いつも一緒じゃない。

ラーシュ:ふぅん?

ラーシュ:そういや、俺チビについてなーんも知らねぇや…。今じゃそんな風には見えねぇけど、初めて会った時は小綺麗な格好してたよな…?チビは貴族だったのか?

エリス:…。

ラーシュ:なーなー、俺だけに教えてくれよ。内緒にしとくからさ。

エリス:…。

ラーシュ:…ちぇっ。まぁでも、仕方ねぇか。あの土砂崩れでチビのかーちゃんもにーちゃんも死んじまっただろうし。

エリス:…。

ラーシュ:…あ。そういや、リーベルの皇族も賢者以外全員死んじまったんだっけか?

エリス:え?

ラーシュ:え?

エリス:何それ…。

ラーシュ:何それって…今リーベルはこの前の国際会談で皇配のエルフが毒殺された件を調べてるんだけどよ、少し前に馬車の事故でリーベルの皇女とその子供が亡くなったって賢者が発表したんだよ。

エリス:そんな…!

ラーシュ:まぁ本当は最初の毒殺事件も賢者が狙われたんだろうけどな~、立て続けに皇族が死んでる以上はやっぱり何かの謀略(ぼうりゃく)なのかねぇ。

ラーシュ:ひょっとすると、案外全部賢者が仕組んだことだったりして―

エリス:―違う!!


―エリスは握りしめたスプーンをラーシュの首筋を掠めるようにして壁に突き立てた。所謂壁ドン的な体勢である。


ラーシュ:うお!?…へ?

エリス:おじ…賢者様がそんなことするはずない!!

ラーシュ:え?チビも母国のことだから気になんのか…?だとしても、本当のことだし…

アレクシス:一体何してやがる、騒がしい!!

ラーシュ:アレク!いや、実はその…

アレクシス:…おい、クソチビ…なんだその態度は?

エリス:…。

アレクシス:その目はなんだ、下等種族の癖に。

エリス:…うるさい。

アレクシス:あ?

アレクシス:躾(しつけ)がなってないようだな…こっち来い!!

エリス:…。

アレクシス:聞こえねえのか!!

エリス:―水球!!


エリス:(アレクシスが怒鳴ったのとほぼ同時に私が水の塊を飛ばす。アレクシスが間一髪避けると、弾丸のように飛んでいったそれは後ろにいた炭鉱夫の顔に命中し、顔全体を水の球で覆った。その炭鉱夫はガボガボと必死にもがき苦しんでいる。)


アレクシス:―!お前…

エリス:…許さない。

アレクシス:許さねぇのはこっちの台詞だ!おい、誰か手錠持ってこい!!あと鞭もだ!!

ラーシュ:ア、アレク…!流石に鞭はやりすぎじゃないか…?

アレクシス:何だと?!てめぇは何処に目ぇくっつけてんだ!!魔法で殺されるところだったんだぞ!!

ラーシュ:いや…それは、そうかもだけど…。

アレクシス:働き手は惜しいからな…骨を折らねえ程度に痛め付けてやる。

ラーシュ:アレク!

アレクシス:お前みたいな亜人が、人間様よりでけぇ顔してんじゃねぇぞ!!

エリス:エルフは下等種族なんかじゃない!賢者様を筆頭に大陸民みんなが友好的に平和に暮らすため、何をしたら良いか日々考えて生活してるんだ!!

アレクシス:何が友好だ!何が平和だ!!そんなもんクソ喰らえだ!!

アレクシス:下等種族の癖にしゃしゃり出やがって…!そんな綺麗事ばかり抜かしてるから内側から腐っていくんだよ!!

アレクシス:大方あの皇配も賢者に毒殺されたんだろうよ!傑作だな!!

エリス:―!

アレクシス:おらぁ!!

エリス:ごはっ…!

アレクシス:このガキ!何様の!!つもりだ!!

アレクシス:おらぁ!!


―アレクシスはしばらく鞭打ちや暴行を加える、エリスもそれにあわせてリアクションすること


アレクシス:…分かったか!!

ラーシュ:な、なぁ…アレク、死んでないよな、これ。

アレクシス:知るか!!コレはしばらく地下牢に繋いどけ!!魔封じの手錠は絶対に外すなよ!!いいな!!


―深夜、地下牢に繋がれたエリスの元にブルーノがやってくる。


ブルーノ:…お前、何してんだ。

エリス:…。

ブルーノ:(溜め息)…食え。治癒魔法も使えないなら食って治すしかない。


―そう言って、ブルーノは緑色のスープと硬いパンが乗った皿を差し出す。が、エリスは放心状態のように反応がない。仕方なくブルーノがスープを掬い、口に運んでやる。


ブルーノ:おい、口開けろ。

ブルーノ:…ほら。

エリス:…。(飲み込む)

ブルーノ:…これも食え。

エリス:…さん…。

ブルーノ:は?

エリス:とう、さん…。

ブルーノ:…俺はお前の父さんじゃねぇぞ。

エリス:…たの…

ブルーノ:…今度はなんだ。

エリス:死じゃったの、父さん…。

ブルーノ:…。

エリス:父さんも…賢者様も…いつもみんなで仲良くするにはどうしたらいいか考えてた。賢者様は父さんが死んでも母さんや兄さん、それに私が危なくないようにって色々考えてくれた…。

エリス:なのに、母さんと兄さんも死んじゃったって…っ!父さんが賢者様に、お祖父様に殺されたって…!

ブルーノ:!お前、まさか…!

エリス:父さん…父さんに会いたい…!

ブルーノ:…。

エリス:もうこんなところ、居たくない…。母さんと兄さんに会いたい…。父さんに、会いたいよぉ…!

ブルーノ:落ち着け。自暴自棄になるな。

エリス:…うぅ、父さん…!うぇぇ…

ブルーノ:…目ぇ閉じろ。

エリス:え?

ブルーノ:いいから。

エリス:…。

ブルーノ:…エリス、もう泣くな。

エリス:…!

ブルーノ:私は…エリスには笑っててほしい。泣いてたら、せっかくの可愛い顔が台無しだろう?

ブルーノ:いいかい?今から大切なことを言うよ。…今日みたいに感情的になってはいけない、いざとゆう時に魔法を制御できなくなってしまうから。先生にもそう教わっただろう?

エリス:…で、でも…

ブルーノ:きっと母さんも兄さんも生きてる。今頃必死になってエリスのことを探しているよ、だから今は大人しくして機会を伺うんだ。必ずここから出られる時は来る。

エリス:…。(コクリ)

ブルーノ:…良い子だ。さぁ、もうお休み。しっかり休んで早く元気になっておくれ。

エリス:…ありがとう。おやすみなさい…。


―エリスが寝付くと、ブルーノは格子の隙間から頭を撫で、複雑な顔でそれを眺めた。


ブルーノ:神というものは…本当に酷なことをする…。


―あの事件から1年、エリスはブルーノに言われた通り炭鉱で黙々と働いていた。


アレクシス:最近は石炭もまともに出てこなくなったな…。

ラーシュ:東の方に掘り進めてみるか?

アレクシス:馬鹿野郎!東は国境ギリギリまで掘ってるだろうが!!おまけに東はマリシ領、下手に刺激したら職を失うだけじゃすまねぇぞ!!

ブルーノ:だが、あまり深く掘ると今度は有毒ガスが出る可能性もある。慎重に掘るとなれば経費も嵩むぞ。

アレクシス:んなこたぁ、分かってんだよ!!

アレクシス:これ以上金をかけるわけにはいかねぇ。

ラーシュ:なぁ、最近事務方の奴らも資金繰りに奔走してるって聞いたぞ…。

アレクシス:…一か八か、8番坑道を掘ってみるか…

ブルーノ:8番坑道だと?!あそこは地盤が緩いからって封鎖してたじゃないか!!

アレクシス:いや、あそこは昔僅かだが魔晶石の欠片が出てきたこともある。狙うとしたらそこしかねぇ!!

ブルーノ:血迷ったか、アレク!!

アレクシス:うるせぇ!俺は正気だ!!何としても金を集めねぇと俺は…!俺はまた…!!

ブルーノ:…?

ラーシュ:でもよぉ…仮に8番を掘っていくとして誰が行くんだ?俺はごめんだぞ。

アレクシス:何言ってんだ、ラーシュ…。おあつらえ向きな奴がいるじゃねぇか。

ブルーノ:まさか…


―そこにエリスがちょうど集めた土砂を持って坑道から現れる。


アレクシス:おう、ガキ!!ちょっと来い!!

エリス:…はい。

アレクシス:今日からお前は8番坑道に潜れ。あそこは狭いから中に入れる奴に限りがある。ちなみに8番坑道は僅かだが魔晶石の欠片が採れることもあるんだ、上手く行けばちったぁ良いもん食えるかも知れねぇぜ。

エリス:分かりました。

ラーシュ:(小声)なるほどぉ、あのチビに行かせれば俺達は安全だし、儲けも出るしで良いこと尽くめだね。

アレクシス:そういうこった。

アレクシス:…お前らもとっとと潜れよ、金がねぇのは事実なんだからな!おまんま食いっぱぐれたくなかったら、手ぇ動かせ!!

ブルーノ:…。


―その日の夜…8番坑道の中腹では、エリスが採掘した鉄鉱石を籠に詰めていた。


エリス:(…あれから半年。大人しく働きながら機会を伺ってたけど、なかなか脱出する機会がない。一体いつになったらリーベルに帰れるんだろ…)

サイラス:(遠くから呼び掛けるように)…!何処だ!

エリス:誰?ブルーノ…?

サイラス:エリス…!

エリス:え?兄さん…?

サイラス:!―危ない!!

エリス:きゃああぁ!!


―突如、頭上から大きな岩がガラガラと音を立てて降ってくる。サイラスは反射的にエリスを突き飛ばした。


エリス:いたたた…

サイラス:―エリス、大丈夫?!

エリス:本当に、兄さん…?何処?何処にいるの…?

サイラス:エリス、こっちだ!後ろ!!


―エリスがサイラスの声を頼りに周囲を見渡すと、自分のすぐ後ろは土砂で埋まってしまっていたが、辛うじて手が通る程の隙間から懐かしい眼差しがこちらを見ていた。


エリス:兄さん…!

サイラス:ああ、無事で良かった…怪我はない?

エリス:大丈夫。…兄さんは?

サイラス:ああ。直撃はしなかったけど、坑道が分断されちゃったな…。

エリス:分かった。今すぐ人を呼んで…!

サイラス:エリス、よく聞いて。まずはここを出てリーベルに戻り、お祖父様に「リーベルの皇族は自分以外全員死んでしまった」と伝えるんだ。

エリス:え…?母さんは…?それに、テレーゼ叔母様は…。

サイラス:…2人とも、死んだよ。

エリス:そんな…!うそ…嘘だよそんなの…。

サイラス:お願いだ、エリス。僕が信じられるのはもうエリスだけなんだ!

エリス:何で…?そんなこと言わないでよ…。そう、そうだよ…兄さんも一緒に帰ろう!!何とかここを開通させて…!

サイラス:ダメだ、僕は帰れない…。

エリス:どうして…!

サイラス:レオン父さんを毒殺した黒幕がこのタングリスニに居る可能性が高いんだ。だから…

エリス:それなら2人で帰ってお祖父様に話せば…!

サイラス:分からないのか?お祖父様が黒幕である可能性もあるんだよ!

エリス:…え?

サイラス:レオン父さんを毒殺する為に使用されたのは『ヒュドラの毒』だ。これは解毒法が見つかっていない非常に危険な毒物だけど、その分希少なものでもある。入手ルートから考えてもお祖父様が黒幕である可能性は十分高いんだ。

エリス:でも…お祖父様は私達を逃がすために…!

サイラス:―これを。


―サイラスが岩の隙間から何かを差し出す。エリスが受け取ると、それはクリスタルのダガーだった。


エリス:これは…?

サイラス:会談の日の朝に、父さんから貰ったんだ。「心の底から守りたい物が出来た時に、振るいなさい」って。これがあればお祖父様もエリスの言葉を信じるはずだ。

エリス:兄さん…?やだ、やだよ…せっかくまた会えたのに…!

サイラス:泣かないで…エリスの目は宝石みたいに綺麗なんだから。

エリス:やだ…やだやだ!!お願い!私、兄さんと一緒に居たい…!私を、1人にしないで…!

サイラス:大丈夫、1人にしないよ。僕も黒幕を突き止めたら必ずリーベルに戻る。約束するよ。

サイラス:だから、エリスは先に逃げて。

エリス:…絶対…約束、だからね…。

サイラス:あぁ。

ブルーノ:―おい、エリス!まだ坑道に居るのか!!居たら返事しろ!!


―坑道の先の方を見るとカンテラを片手にブルーノがやってくる。


エリス:ブルーノ…。

サイラス:さぁ、行って。僕も他に抜け道がないか探さないと。これだけ崩れてたら、他の坑道と繋がってるだろうから、僕はそこから逃げるよ。

エリス:…。

サイラス:心配しないで、ね?

エリス:最後に手、繋いでくれる…?

サイラス:…仕方ないな。


―瓦礫の隙間でエリスとサイラスは何とか手を繋いだ。


エリス:…絶対、またリーベルで会うんだからね!!

サイラス:ああ。

エリス:ありがとう。じゃあ…行ってくる。


―エリスは手を離して立ち上がると、サイラスの方に背を向け、ブルーノの方に走り出す。


ブルーノ:良かった、無事だな…!

エリス:うん、怪我もしてないよ。

ブルーノ:そうか…。

エリス:もしかして、助けに来てくれたの…?

ブルーノ:まぁ、それもあるが…辺境伯様がここを摘発するために私兵を投入したんだ。今炭鉱夫達は全員事務所に召集されている。

ブルーノ:今ならお前をリーベルに送り届けることが出来るんだ。

エリス:…分かった。


―ブルーノがエリスの手を取ったと同時に坑道の壁面がパラパラと崩れ始め、それは徐々に揺れを伴いながら大きくなる。


ブルーノ:…!まずい!早く外へ…!!


テレジア:(N)その後…エリスはブルーノに担がれて坑道を脱出し、隠れるようにして停められた荷馬車に乗せられると、あっという間にリーベルにたどり着くことが出来た。


―時刻は夜明け間近、エリスは朝靄の中リーベルの国境近くで馬車を降りる。


エリス:…1年ぶりの、リーベル…

エリス:父さんも母さんも死んじゃった…。兄さんも、居なくなっちゃった…。


―エリスがポロポロと涙を溢していると、朝日が射し、朝靄がすうっと薄れていく。


テレジア:(N)フワリと風が頬を撫でたような気がして、エリスが顔を上げると、木々や花々に清らかな日射しが当たり、森全体が神々しく金色に輝いているように見えた。


エリス:…綺麗―。

エリス:…大丈夫、兄さんは絶対生きてる。

エリス:だとしたら私がやらないといけないのは…兄さんが帰ってきた時に、この森を、この国を、今と変わらぬこの素晴らしい景色を見せてあげられるように…


エリス:―リーベルを豊かな国に。



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